第14章・ことじの戦後―技術の伝承―

《蓋に兔、両把手は象の鼻、胴には鶏》・・・職人・土屋華章(ことじの夫・孝)の作製したもの

の中で、代表的に知られている《水晶花瓶》という作品がある。

これは、大正天皇のご大典記念に際して大正4年に献上・ご喜納となったものであるが、その

図柄には、大正天皇のご誕生年である明治22年と即位大典の大正4年の年回りが共に《乙

卯》の年であったことから花瓶の蓋に兔、胴には《新しい御世が開ける》という意味を込めて暁

を報ずる鶏の浮き彫り彫刻が施された高さ17センチの大きな蓋付き花瓶の傑作である。孝も

自らその花瓶の写真を絵葉書にして残している程であるから、この作品は彼のよほどの自信

作であったに違いない。

水晶などの研磨加工製品は多種多様で、とりわけ美術工芸品である《研磨彫刻》の分野は

その中でも特異な存在であるといえる。なぜなら、そこには《美術品としての価値》が当然求

められ、伝統的な加工技術は勿論のこと、他の加工製品とは異なってある程度の《芸術的な

精度》なくして商品としての長い生命を保つことが出来ない性質を持っているからである。

水晶彫刻の《創始者》である華章(孝)は、その生まれながらにして恵まれた類い稀な芸術的

センスにより、そのことを自覚というよりむしろ本能的に感じ取っていたために、常に自らの作

品対してトコトン妥協を許さなかった。

また、弟子達が作るものに対してもそれは同様で、彼らの作る《見よう見まね》の作品として

《息使いが聞こえない》製品は、容赦なく床に叩きつけて粉々に割ってしまう。例の『こんなも

の作りやがって!』である。そういう意味では、職人としての土屋華章(孝)は《昔気質》であっ

たと言える。弟子達に《教える》というよりはむしろ体感的にその《作品に対する芸術的セン

ス》を叩き込もうとしたのだ。彼が最も伝えたかったこと、それは単なる《技法》ではなく経験に

よって体得する《感性》と《感覚》であった。

戦後、日本は大きく変化した。GHQの指令のもと《圧政的な法制度の廃止》《経済の民主

化》《婦人参政権》《労働組合法》《教育基本法》の5大改革が実行され、戦前の全体主義から

一転して自由で民主的な社会へと様変わりしたのである。

土屋華章においても、この新しい時代の流れは、初代宗助からはじまって4代目となる華章(

孝)まで続いた弟子職達による《年季奉公》という形の実技習得体系を工房からぷっつりと消

し去る結果をまねいた。

昭和21年11月3日、日本国憲法が公布。翌22年4月には労働基準法が制定され、雇用主で

ある事業所と雇用される側である労働者との関係・支払われるべき労働賃金・労働時間など

のガイドラインが法律によって詳しく定められる。

特異産業ともいえる《水晶研磨彫刻》の技術伝承は、ある意味親方と弟子という《徒弟制度》

によって支えられていた訳で、それが通用しなくなった世の中、このままでは孝の育てた弟子

達の時代が過ぎてしまうとその後継は廃退しかねない。ことじは、《弟子》が《工員》と呼ばれ

るようになった新しい時代の《後継者育成》という盲点に直面し、夫が半生をかけて取り組んで

きた《美しいモノつくりの心》とその《技術》の消滅を危惧しはじめる。

ただモノを作らせるという《技法》は、新しい時代にも教えていくことは可能であろう。しかし、

夫・孝が育て上げようとしていた《弟子》たちは、ただ製品を作るだけの単なる《工員》であって

はならない。《美しいモノつくりの技術》つまり、〈製品〉作り出すための《技》と同時に、それを

〈作品〉にするための《術―感性》を備えた《職人》として彼らを育てあげなければ、職人・土屋

華章(孝)の《真の技術》の継承とはなりえない。

彼女は密かに婿・亀之助を呼び、こう言い聞かせた。『亀之助、おそらくお旦那(孝)がやっ

てきたようなやり方は、これからの若い衆には通用しなくなるだろう。幸いオマンは、陸軍の指

揮官や陸軍大学の指導教官という貴重な経験を持っている。その経験を新しい時代の土屋華

章に生かして、これからの若い衆のモノを作る心を育てていってやっておくんなさい。期待して

いるよ。』

ことじのこの言葉で、終戦で《軍人》としてのプライドを一気に取り去られ、土屋の《娘婿》として

も一歩下がった立場にあった亀之助は奮起した。水を得た魚のように一気に新しい業界の発

展や後継者の育成に尽力しはじめたのである。ことじの得意技《飴&抱きしめ》作戦!大成功

である。

戦後の盛んな内外需要に支えられて復興した山梨の水晶加工業界は、その事業形態も《加

工》《輸出》《工業用振動子》《貴金属加工》など多岐にわたるようになり、立場を異にする各業

者間の利害関係も加わって、昭和21年に結成した自主的任意組合《山梨水晶業組合》が解

散をもって8組合に商工細分化。研磨美術彫刻の分野では、昭和28年《山梨県水晶美術彫

刻協同組合》が結成された。結成当初の理事長である孝の任を受継ぐ形で、その後理事長に

就任した亀之助は、当時《物品税》に悩まされていた水晶業界全体の問題でも他組合と団結

して陳情を繰り返すなど、精力的に業界や組合の発展に奔走する。

そしてことじが危惧した後継者育成問題で彼は、昭和32年4月、わが国で初めての《山梨宝

石彫刻技能者養成所》を設立。自ら所長を務め、労働基準法による技能者の育成に乗り出し

たのだった。この養成所の主旨は以下ようなものであった。

〈彫刻美術を志望する後継者の技術伝習〉

〈新しい感覚を備えた基礎と共に人間的にも優れた技術者の育成〉

〈業界の技術水準の向上〉

〈一部にのこる徒弟制度の打破〉

今まで師匠(親方)対弟子の個人的指導で長い間やってきた技術伝承を、3年間に渡る週2回

の団体授業に切り替えた技能養成所。組合所属36事業所の初級工員32名を第1期生とし

て、親方から《体感的》に技術を叩き込まれた戦前世代の熟練たちが教える水晶彫刻の〈実

技〉の他、基礎学科として〈工業数学〉〈物理〉〈科学〉〈実用外国語〉〈意匠図案〉〈美術工芸〉

〈彫刻史〉〈鉱物及び宝石学〉〈材料学〉〈電動機工法〉などを教習し、《技》《感》《知》のグロー

バルな《技術》をもった新しい時代の職人育成をめざした人材教育の場であった。

また、養成技術者には毎年3月に技能検査の検定試験を実施して、合格者に技能者としての

資格を与えたり、春秋2回東京芸大から専門教授を招いて特別講習会を開催するなど、それら

は若い工員だけではなく、熟練の職人たちにとっても、彼らの技能・技術・そして感性の向上

に大いに役立つこととなる。

《技術の継承》とは単に《技法の継承》というものであっては生き残れない。それは、特異分

野である《研磨彫刻》だけに限ったことではない。ある意味全ての産業の将来に関わる大きな

課題となっているのである。

例えば、製造工程の殆どをコンピューター制御された機械が担う形になっているサッシガラス

の場合、最終的にガラスに磨きをかける段階で、研磨バフをガラスに押し当てる機械の力加

減の制御はどうしても人間の《感覚》にたよる他ない。機械を操作する人間のさじ加減の微妙

な誤差で、たちまちバフは摩擦で火をふき、製品をお釈迦にしてしまうのだ。どんなに精密に

力加減を調整出来る機械でも、そこだけは人間様の感覚にはかなわない。それこそ熟練の作

業員の技と感が要求される作業だという。

ハタマタ私達が日常大変お世話になっている便器でも、その成型前の石膏枠工程で、機械に

よって造形される便器型枠の緩やかなアールの最終的な微調整は、実は作業員の感覚に大

きく委ねられているそうである。

その《職人技》ともいえる技術は、単なる知的教育のようなもので到底教えられるものではな

い。熟練者の長年の経験による《感性》と《感覚》を若手が体感的に学んでいかないとその《職

人技》は受継がれていかないのだ。

もの作り現場における《2007年問題》・・・。《トヨタ生産方式》なるものが持てはやされ、徹底

的に《無駄》を省いた生産方法に切り替わったモノ作りの時代が、現場でのその後に技術を受

継ぐべき《世代の空洞化》を招いた。長い間重要な《職人技》を、ある意味《任されっぱなし》だ

った団塊世代が大量退職を間もなく迎える多くの製造業では、その技術の継承という《見過ご

してきた課題》にいまさらながら苦しむ結果となっている。

この団塊の世代が担ってきた《技術》の継承問題は製造業に限ったことではなく、今や隆盛

を極めるIT産業でさえも、《IT産業の2007年問題―レガシー問題》が浮上していることをご存

知の方も多いであろう。

製造業界やIT産業界における《2007年問題》は、いずれにおいても《技術の継承》という最も

重要な課題に見て見ぬふりをして、利益のみを最優先にし、目の前の人参を追いかけるため

に徹底的に効率化を図ってきた産業界の贖罪の結果である。《技の継承》は決して《無駄》で

はない。産業の将来を背負う《技術力》とは《人間力》なのだ。

水晶研磨彫刻の分野は、昭和52年通商産業大臣(現・経済産業大臣)指定《甲州水晶貴石

細工》として《国の伝統的工芸品》に認定され、法律・規定(伝統的工芸産業に関する法律第

24条第8号)に則った厳しい審査基準・試験に合格した《伝統工芸士》たちによってその技術

継承がなされている。現在活躍している水晶貴石彫刻の伝統工芸士たちの殆どは、土屋華

章(孝)の孫弟子世代、つまり戦後の新しい時代に《工員》としてこの世界に入った人たちであ

る。技法を学んだ《工員》たちは、感性が磨かれた《職人》となり、その職人たちは今《国の伝

統工芸士》としての確かな地位を確立している。

ことじが残していきたかった夫・孝の《美しいモノ作りの技と感性》は、甲州水晶貴石細工の

伝統工芸士たちがつくりだす作品の数々に今も尚脈々と引き継がれている。超アナログなこ

の《伝統的工芸品》の世界。しかし人間の《技と感性》という泥臭さをつらぬいているからこそ

今でも《職人の技》がしっかりと受継がれているのだ。時代はどんどん新しくなり、経済状況や

人々の生活環境が変化していくこれからも、それを研磨する職人や伝統工芸士たちの《技法》

に《美しいもの作りの感性》が継承されていくかぎり、水晶や貴石は美しい輝きを放って私達

人間を魅了し続けてくれるであろう・・・・というのが私の希望的考えである。

アナログだって、泥臭くたっていいじゃん!職人の技ばんざい!

画像

大正天皇大典に際して献上された土屋華章作《水晶花瓶》

今回はちょっと理屈っぽくなってしまいました(笑)。《効率化》を図って邁進してきた日本経済

の落とし穴。《2007年問題》しかり、《ニート》《格差社会》etc.。機械化による人員削減やコンピ

ューター社会、安価な労働力を求めた海外での生産体制・・・・・中小の町工場は衰退し、大

企業の国内工場さえも採算性の合わないものは閉鎖されてしまう。労働者人口の中には、確

かに甘っちょろい《働かない若者》がいるのも事実ですが、《働く場のない》若年層や中高年層

が大勢いるのも現実です。最近では《年収150万円時代到来》などというニュースもあるそうで

す。かたや個人資産230億円のホリエモン・・・・。

どうなっちゃうんでしょう日本!!・・・ハハハ《ことじ物語》とはどんどんお話が逸れてきます

ね。またまた理屈っぽくなりました。スミマセン。

さて、次回はことじと戦後―半生の集大成―というお話にしようかなと思っています。

ちょっぴり私の父のことも書きますね。お楽しみに!                アオちゃん