[琴柱]-ことじ-琴の弦につけ音程を調律する小物のこと・・・。

私の生家は山梨県甲府市で江戸末期より水晶や貴石の研磨細工加工を生業とする工房

で、私が生まれた昭和42年頃は、丁度日本が約20年前の世界大戦での敗北から見事な復

活を遂げ飛躍的な経済成長を見せた、いわゆる『昭和の高度経済成長期』の頂点をきわめて

いた時代でした。

[良質で安い労働力][安価な石油][安定した投資資金を融通する間接金融の護送船団方式]

[政府の設備投資促進案による工業用地などの造成]etc.・・・によって日本の製造業はまさに

登竜のごとく発展し、それに加えた[輸出に有利な固定制の円安相場]によって日本製品の海

外への輸出は拡大の一途をとげ、世界中に[MADE IN JAPAN] の商品が溢れかえってお

りました。(その後1971年のニクソンショックによる円の実質的切上げ、第4次中東戦争によ

るオイルショック、極めつけは1985年中曽根内閣下・竹下大蔵大臣のプラザ合意による米国

の対日貿易不均衡解消を名目とした円高ドル安協調介入の受け入れで日本の輸出製造業

は大きな方向転換を余儀なくされますが・・・。)

生家[土屋華章製作所]の仕事もその頃は水晶貴石研磨加工製品の海外への輸出が主とな

っておりましたので、工房では[唐美人][観音像]など外国の方達が好みそうな東洋風な彫刻

品を作る彫刻職人や外国でこれからジュエリーに加工されるであろう水晶や貴石のカボション

ルースなどを研磨する研磨職人たちが忙しく汗をながしておりました。

会社の応接室には欧米から買い付けにやってくる海外のバイヤーたち・・・ヨーロッパ人、ア

メりカ人、ユダヤ人・・・自分とは違う吸い込まれそうになる青い色の目、ちょっときつい体臭と

母とは違う香水の香り・・『How sweet!』と抱きしめられ頬にキスをされるたびに、恥ずかしさと

同時にこのまま遠く異国に連れ去られてしまうのではないかと思った一瞬の恐怖心。

大人になり自分のお金で自由に海外に出かけることが出来る今でも、欧米人のあの体臭と入

り混じった香水の香りを嗅ぐと、ふと幼いあの頃の私[アワイのアオちゃん](この呼び名をご説

明するにはちょっと時間がかかりますので省略しますが)が呼び戻ってくる瞬間があります。

経験のすり込みによって人間の記憶というのは薄らいでいくものですが、人の記憶のメカニ

ズムの中で最後まで残っているものは、その人がその時に感じた[香り]なのだそうです。

あの体臭に入り混じった香水の香りも私の幼い記憶の中の一つですが、[ハンダでビニールを

溶かす臭い]・・あの匂いほど強烈な記憶の一片として私の心にいつまでも残っているものは

ありません。『ことじおばあちゃんの匂い』・・・・

第2工場の2階(会社ではそう呼ばれていました)の作業所で、曾祖母ことじは工員のおばさ

ん達に混ざりながら毎日毎日海外輸出用の貴石のカボションルースをビニールシートの間に

並べ、熱いハンダゴテでビニールに封をする作業を行っていました。その頃確か曾祖母は80

歳をゆうに越していたと記憶していますが、[明治のおんな]の言葉の通り逞しく未だ現役の大

女将・・・。幼い私には足を滑らせって落ちてしまいそうで怖かった外階段を上がって奥の作業

所のドアを開けると、むせるように熱くなったハンダゴテとビニールが溶けたケミカルな臭いとと

もに銀灰の髪の毛を束ね結い、着物の襟口に手拭を巻いた軍手姿の曽祖母の姿がそこには

ありました。

『土屋華章はおんなが支えてきた』とよく言われますが、これから私がブログで(どこまで続く

か分かりませんが)ご紹介していこうと思っている[土屋ことじ-ことじおばあちゃん-]ほどその

名の通り[土屋華章の琴柱(ことじ)として華章の弦の音色を支えてきた]女性はありません。

土屋華章を支えてきた私の曾祖母としてだけではなく、明治・大正・昭和と激動の時代を生き

てきた一人の女性として魅力溢れるその波乱万丈の生涯をご紹介できたらと思っておりま

す。次回はことじの生い立ちのお話しです。では続きはまた。            アオちゃん

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琴柱(ことじ)