第7章・ことじの秘密

第一次世界大戦終結と共に押し寄せてきた不況にあえぐ日本経済とは相反して、1920年代

の米国は大戦への輸出で発展した重工業投資や帰還兵による消費の拡張、そして何よりモ

ータリゼーションのスタートで自動車工業が飛躍的に発展し、《永遠の繁栄》と呼ばれる経済

的栄光を手にしていた。大戦特需にわいた日本の造船・製鉄・化学工業などが揃って不況に

苦しむ中、宝飾・美術彫刻品などの所謂贅沢品の輸出を手がけていた山梨の水晶加工業者

は、この米国経済の好調さと急速に回復した欧州経済の消費活発化に助けられる形で国内

の不景気の波をかぶることなく順調に商いを滑らせていくことが出来た。

土屋華章輸出美術製作所にも、米国を中心とした海外からの注文が殺到。工房で働く職人

達の数も増え、ことじと孝の商売もまさに黄金時代を迎えることとなる。土屋華章に《お金がう

なった》時代である。(一応土屋にもそんな良き時代があったのだ【笑】。)

商売も順調、私生活でも2人の子供と理解のある家族に囲まれて順風満帆なことじであった

が、唯一気がかりだったのが実家・菊島家のお家事情である。

ことじが土屋家に嫁いだ後の菊島家は、2番目の姉・チヨが婿・熊次郎と共に家督を継いで、

養蚕農家を守る形となっていた。しかし何がどうなったのか、その後この婿・熊次郎が家を出

て2人は離婚。後に残されたチヨが女手一つで2人の子供を育てながら菊島家を切り盛りして

いたのだ。農家と商売家の生活の違い・・ましてや後家となってしまった姉が一人で守ってい

る実家を何とか助けたい・・。嫁に出てからも心配なのは、生まれ育った英村の桑畑である。

しかし、いくら土屋家に《お金がうなった》とは言え、ことじの立場はやはり《嫁》。夫や姑の手

前、実家のために金銭を持ち出すことなど到底出来はしない。そこで、ことじはどうしたか・・。

毎年、春と秋の彼岸や命日には、決まって英村の両親の墓参りにでかけることを許されてい

たことじ。その墓参の前には必ず呉服屋で何着かの着物を誂える。勿論、表向きは商売に出

る時に着たいから・・など何かと理由をつけて。そして、新調したものの中でも取分け一番上等

な着物を身にまとって英村へと出かけていくのである。

墓参が終わり、姉・チヨのいる実家に立ち寄ると『姉さんがもっている一番ボロの着物を出して

来いし。』と頼む。それから先程まで身にまとって来た上等の着物を脱ぎ捨て、姉が箪笥から

出してきた古い着物に着替えるのだ。上等な着物の方は『質草にでもしろシ』と言い、何事も

なかったかのように古い着物を着たままで甲府に帰って行くのである。

この事は、後年ことじが他界した後に私の伯母が菊島家から聞いた逸話であり、ことじ自身の

口からは生涯決して語られたことのない、彼女の些細な秘め事であった。

大正15年(1926年)12月25日大正天皇が崩御し元号が昭和と改まったその翌年の3月、

日本経済に金融恐慌の波が押し寄せる。関東大震災処理のための震災手形が膨大な不良

債権と化し、東京渡辺銀行の資金繰りが危うくなったと言う噂が発端となり、全国で『銀行が

潰れる』『銀行からお金が引き出せなくなる』といった取り付け騒ぎが巻き起こった。平成バブ

ルが崩壊した直後に私達が経験した《金融破綻》と同じような出来事である。この取り付け騒

ぎは『小さな銀行にお金を預けていたら危ない』という国民感情をあおり、国民は余力のある

財閥系の大きな銀行にお金を移して、結果財閥の力は益々強大となった。

騒ぎを巻き起こした責任をとって翌4月には岩槻内閣が総辞職。野党第一党であった立憲政

友会が政権を取り、田中義一内閣が発足、蔵相として高橋是清が起用される。この高橋が執

ったモラトリアム(支払猶予令)により、取りあえず日本経済を騒がせた金融恐慌は沈静化に

向ったのだ。

しかしその2年後の1929年(昭和4年)10月24日、米国ウォール街のニューヨーク株式市場で

ジェネラルモーターズ社の株価が80セント下落したのに端を発して、市場では売り一色の様

相となり株価が大暴落。所謂《暗黒の木曜日》―世界恐慌の始まりである。

この《暗黒の木曜日》は《永遠の繁栄》に酔いしれていた米国経済を奈落の底へと突き落と

し、米国経済への依存度を深めていた資本主義国各国にも当然連鎖的にその波は押し寄せ

てきた。未曾有の大恐慌にダメージを受けた資本主義国の中でも、植民地を持っている国

(米・英・仏)は様々な政策を執り、その軽減に奔走したが、植民地を持たない国(日・独・伊)

はそれが出来ずにファシズムの台頭を招く結果となった。第一次世界大戦後から続いた国際

協調路線は脆くも崩れ、日本は軍国主義への階段を一気に登り始めていったのである。

そんな激動の時代のエポックメーキングとなった昭和4年は、土屋華章にとっても悲しみの序

章とも言える年となった。その年の6月に孝の父であるあの色男・松次郎が死去。その喪に服

する暇もなく、翌昭和5年、孝とことじの最愛の息子・敬が17歳の若さで早世してしまう。

庭先に沈丁花の花が薫り始めた3月のことであった・・・・・。

《ことじの秘密》はここまでです。ことじにも時代の暗い影が忍び寄ってきました。ちょっと暗い

ので、次回は明るく《ことじの自慢》についてお話してみようと思います。お楽しみに!

アオちゃん

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