第2章・ことじの青春-キャリアウーマンことじ-

『おまんさぁー!ないしちょっと?』(あなた何しているの?)

『ないしちょっと?』と言われても勝手口裏の井戸で洗濯をしているだけである・・・・。

東京西ヶ原・蚕業講習所製糸部の伝習生として2年間の実際応用的な勉強を修了し、晴れて

農商務省管轄下の製糸検査技術員となったことじは、横浜の生糸検査所を皮切りに、日本各

地へと赴任を繰りかえし、島根の任期を終了後、ここ鹿児島の地に着任したばかりであった。

『こはやっせん。おごじょが男の桶であれモンすっとはごぶれさーな』(これはダメだ。娘が男用

の桶で洗濯するなんてご無礼な。)聞けばここ鹿児島では、洗濯桶までも男性用と女性用と

が区別して使われていると言う。下宿先の勝手口の裏井戸で豪快にも洗濯物を始めたことじ

が使っていた洗濯桶は男物。殿方用の桶で女性物の洗濯をするとはご無礼千万ということら

しい。

『これからは女も男と肩を並べて生きていく時代がやってくると言うのに!なんとも古めかし

い!』

実際のところ、既にその頃のことじは農商務省から派遣された生糸検査技術指導員として全

国の生糸検査所の中でも半官人(お役所の命を受けて働く人と言う意味あいだと思うが)と呼

ばれ、男性と肩を並べて仕事をしていた。今で言う時代の最先端で働くバリバリのキャリアウ

ーマンといったところであろうか。

モクモクと立ち上る夏の入道雲の下、海の向こうに見える桜島から湧き出る煙を眺めなが

ら、ことじは遠く故郷からみえる富士山の壮大な姿に思いを馳せた。講習所の伝習生だったこ

ろの東京、生糸検査所の半官人として初めて着任した横浜からも富士山を眺めることが出来

た。寂しい時には富士山がいつでも英村の桑畑を思い出させてくれる。思えば遠くへ来たもの

である。言葉も風習も全く違った遙かこの鹿児島の地。あの富士山はここにはない。しかしバ

イタリティ溢れることじのこと、暫くすると『富士山は日本一だが、桜島も九州一だ!』とばかり

すっかり薩摩の風習にも溶け込んで、徐々に鹿児島での赴任生活を楽しむようになっていっ

た。

どうゆうご縁だったのか今では定かではないが、ことじは鹿児島で島津家の人々に大変親し

く世話になっていた。時には御膳に招いて頂き、島津家のお嬢様と一緒にお琴の稽古もさせ

てらった。(〈ことじ〉だけにお琴をご一緒に・・・と勧められ始めたたそうだが、彼女の琴楽の才

能は燦々たるものだったらしい。)後にことじが嫁ぐことになる土屋家には今でも、島津家の丸

に十文字の家紋が入った羽織を颯爽と着て、袴に編み上げのロングブーツと言う、その頃大

流行したハイカラなイデタチの彼女の写真が残されている。想像するに、遠くから赴任して満

足な羽織一つも持って来ていない若い生糸検査員のことじに、折角写真を撮るのだからせめ

てこの羽織を・・と言う島津の家人が示す優しい心配りがそこにはあったのだろう。

事実、ことじの生活は大変質素であった。なにせ当初からの彼女の目的は『お金を貯めて桑

畑を取り返す!』その一点。農商務省派遣の生糸検査指導員の給金は、当時の働く女性の

それと比べても、比較にならない程の相当な金額であったと聞いている。ところが、ことじは自

分が最低限生活できる物以外には給金を使わず、決して贅沢をしなかった。お金を貯めに貯

めこんだのである。

毎年盆暮れの休暇になると、ことじは決まって英村に帰省した。鹿児島から英村に帰るため

には、汽車と船を何度も乗り継ぐ長い道中。ただでさえも物騒な若い女の一人旅。そこへもっ

てきて貯めに貯めこんだ例の給金の山をごっそり故郷に持ち帰るのである。ことじは、自分の

帯や着物、長襦袢の裏に札束を縫いつけ、時にはブーツの底にまでそれらを隠し持って帰省

客で混み合った汽車に乗り込んだと言う。後に彼女の実家・菊島家の古い家を取り壊す折に

出てきた沢山の古い担保借用証書には、しっかりと〈菊島ことじにより弁済済〉という赤文字が

あり、それは十数枚にも及んだそうだ。

そんなことじ帰省の折、ある朝菊島家に一通の電報が届いた。『キクシマコトジサマ。ウカイ

バシノタモトデマタレタシ。』鵜飼橋のたもとで待たれたし??鵜飼橋とは英村に流れる笛吹

川にかかる橋のことで、その名の通りその橋の近辺では古くから鵜飼が盛んに行われてい

た。狐につままれたような顔でことじが鵜飼橋のたもとまで行ってみると、そこでは一人の若

い小僧さんが彼女が現れるのを今か今かと心配そうに待っていた。『これをことじさんに渡すよ

うに親方から申し付かりました。』手渡されたのは一通のラブレター。封書の裏には〈華章〉の

文字。差出人は英村から少し離れた甲府の町にいる遠縁の土屋孝であった。孝とことじは同

い年で幼い頃からの顔見知り。孝は職人名を華章と言い、いまや甲府で水晶の研磨彫刻の

天才とうたわれ持てはやされている有名人。しかも、細面に鼻筋のスッと通った色男で、当時

甲府・若松町の芸者衆にはモテモテの男であるという噂話はことじの耳にも届いていた。

『なんでその孝さんが、この私に恋文なんてくれるズラか?』

ことじ27歳。おんなは15を過ぎたら嫁に行く時代の行き遅れ。ようやくことじにも皆より少しだ

け遅い人生の春が訪れようとしていた。

さて、ことじの青春-キャリアウーマン編-はここまでです。ついに曽祖父・孝が登場!

このあとは、ことじの結婚、土屋家の人々・・・とお話は続きます。土屋家に嫁いだことじ

はその後もバイタリティー溢れる活躍を見せていきます。お楽しみに!!ではまた!

アオちゃん

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夕日の桜島

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島津家十文字の家紋